2022年2月25日金曜日

地元ゆかりの二宮尊徳

 栃木県にゆかりのある二宮尊徳(金次郎)に関する書物を読む機会がありました。今日はその感想を書いてみます。

懐かしい思いで目を通していましたが、まず、尊徳は小田原の生まれで幕府の命を受けて桜町領(現真岡市)にやってきたことなど知りませんでした。大河ドラマで話題になった渋沢栄一が、尊徳の影響を受けていたということで、今注目を集めているそうです。

尊徳は江戸時代後期に活躍しました。その当時は武士が治水や土木工事をやり新田開発を進めたそうです。その結果、農業生産量が増え経済を支えていました。ところが浅間山の大噴火がおこり、農業生産量が下落します。飢饉や疫病に苦しめられました。そこで命を受け桜町にやってきて15年の歳月をかけて復興したのです。

その後、茂木領、烏山領、小田原領、下館領、相馬領(福島県)そして最後に日光神領を復興したとのことです。日光神領は徳川家康と家光を祭る日光山の地です。ここでの仕法はのちにどこでも適用できる雛形としてまとめられたそうです。日光神領が人生最後の大仕事であったことは、栃木県人として感慨深いものがあります。

尊徳仕法とは「勤労」「分度・・収入に応じて支出に限度を設けて貯蓄をすること」「推譲・・蓄えができたら子孫や社会に還元すること」です。この尊徳の思想は、渋沢栄一のような明治以降の大企業の経営者たちに多大な影響を与えたそうで、現代の私たちにも通じる思想です。

真岡市に当時妻子を連れて就任した住まいと、二宮尊徳記念館があるそうですが、春休みにでも訪れて、現状のパンデミックでも、先を見通して何かできないか考えてみるのもいいのではないかと思いました。


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2022年2月4日金曜日

2022年の始動

 昨年の12月25日に行われた

「日光市実年・初心者のためのピアノ教室25周年+1記念コンサート」

で講演をしてきました。実年の方々のコンサートということで、私も初めての経験でした。

実年とは1985年に「50歳以上お方を実年と呼ぶ」と厚生省が決めた言葉です。その頃は私にとって遠い存在の言葉でした。まさしく実年層になった現在、若い頃には想像もできなかった歳になったことを再認識しました。

    演題「人生のセカンドステージを謳歌しよう」

来場者が実年層だったこともあり、自分の経験に重ね合わせて聞いてくださったようで、親身になって耳を傾けてくれました。「先生の言葉を胸に頑張ります」と涙を浮かべて感激の声をいただきました。実年の方々の演奏を聞き、見聞を広げる結果となりました。このような機会を得られたことに感謝いたします。



新年が明け新旧入れ替わりの時期を迎え、このブログから問い合わせがありました。
「あ!ブログの更新が・・」と思い出す始末。本当に申し訳なく思っています。と同時に相変わらず余裕のない生活を送っていることを再認識しました。今年も忙しい1年になりそうです。


さて、新年が明けてまもなく日本の誇る体操会を代表する内村選手の引退報道がありました。今でもスポーツ界の引退報道は幾度となく観てきましたが、あれ程の爽やかな笑顔での会見を開いた方はいなかったと思います。
その中で印象に残ったのは「世界で一番体操を知っている人になりたい」というこれからの抱負でした。その言葉を聞いたとき「このような目標ってあるのだなあ・・・」と私にとっては驚きの言葉でした。私には無い発想でした。

私もピアノに関わっていつの間にか60年になります。指導者になって45年。日々奮闘していますが、まだまだ知らないことばかりです。音楽の世界の奥深さを実感しています。残された人生を考えても音楽の全てが分かるとは思えません。
常に向上心を持って歩んで行ければいいかなぁ・・と思っていましたので、内村選手の言葉を聞いたときには驚きと感動を覚えました。そして志の低い自分を感じました。

次に心に響いた言葉は「3歳から始めた体操で16年間日の丸を背負ってきた。そこで心技体の重要性を知り、人間性が作られた」という言葉です。飽くなき探究心と感謝の心に溢れた大変重みのある言葉でした。どれだけ自分と闘ってきたのか想像し難いですが、試練を一つひとつ乗り越えてきた自信からの笑顔だったのだなぁと尊敬の眼差しで拝見しました。

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